IDEYA

井手勇次 official blog

教育って?今と昔。親と子供

こんばんは🌙

 

今日で引退後、奈良から引っ越して一年が経ちます。

 

コロナ騒動はまだ落ち着いていません。

 

 

一年前の自分は今の自分や環境を想像できていただろうか。

 

 

うん、全然してなかったね!

 

 

また一年後はどんな井手でいるのか、何をしているのか。

 

 

楽しみだなぁ😄

いや、どこにいるのか🤔w

 

 

一年前の当時は、何も決まってないのになぜか少し余裕があって、なんとかなる!という流れをどこか感じていた気がする。

 

 

それはやはり経験なんだろうなぁと。

 

 

これまでバスケットボールを中心にいろーんな体験と出会いを経験させてもらって、確実に活きてるなぁって思う😌

 

 

経験に勝るものはないね❗️

 

 

ただ、活かし方や変換の仕方がわからないと無になってしまう。

それって勉強が出来るとかできないとかではないんだよなぁ。

 

一つの事柄での経験を他のものに置き換えて応用できる人はわりとなんでもできるし、成長し続けることができる!

 

今回、

人生で初めて自分のアカデミーを持って、直接的に子供やその親と繋がり、他人の家庭に関心を持つようになって改めて思うのは、

 

自分のときとは違うなー🤔と。

 

違う理由は"時代"というのも影響してるだろうが、自分の当時と今の子供達をよく比べてしまう。

そもそも学校教育のあり方や教育方針も変わってるので当たり前かもしれない。

 

事実国がいろいろ施策しながら迷走してますからね。

 

ふと、

学校教育は国の影響を受けるので仕方ないが、

 

親の教育はなんの影響を受けているのだろうか🤔

 

教育の仕方って一般的に、コーチや先生がいて習うものではないと思うが、みんなそれぞれどうやって教育ノウハウを得てるのだろう🤔

 

おそらく昔も、今も学校に依存か、周りの人に合わせる教育なのだろう。

 

みんな持ってる。から買う。

みんなやってる。からする。

みんなはしてないから、しない。

etc.…

 

ここが井手家とは違うのかもしれない。

 

 

そもそもなぜ合わせるのか。協調性といえば聞こえがいいが、反面、個性や可能性を殺す恐ろしい言葉でもある。

 

 

小さいときにそんなことまで理解していたわけじゃないけど、

自分の場合、人と違うことをすることに対してあまり抵抗はなかったし、良い目立ち方は好きだったからある意味では協調性はなかったのかもしれない。

その割に、昔から生徒会や学級委員を必ず務めていた🙂w

(今じゃ考えられないかもな)

 

 

さて、

なぜ急にこんなブログを書いたかというと、

 

今教えているアカデミーの子は練習中に全然声を出さない。声といっても数字を数える程度。

決してできないことではないのだが。

 

なぜか?

 

これはきっと周りの子が出さないから。

自分だけ出すと恥ずかしい。

 

おそらくこの2つだろう。

 

もし、ホントにそれが理由だとしたら気をつけたほうがいいかもしれない。

 

 

いくら勉強が出来たとしてもこれからの社会では苦労するだろう。

 

 

あ、もう一つ思ったこと

石川県は学力に力をいれているからなのか、

テスト前だからアカデミー休みます。

という生徒が、結構いること!

 

 

自分の時は、中学も高校もテスト週間とか関係なく練習してきたから驚いた。

 

ちなみに、運動はした方が脳は活性化されますからしたほうがいいですけどね!集中力も上がりますし!

 

 

きっとこっちは学力に対する優劣が未だに大きいんだろうなぁと思いました。

 

 

これも目的意識が必要ですね!

 

 

なんのためにするのか。

なぜするのか。

 

 

答えに対して3回なぜを繰り返すと根本が見えてくる☝️

 

 

その答えに対しての最善を周り関係なくすることが良いと思う。ただの個人の意見ですがね😀

 

 

それと、誰かが言ってた。

親は子を心配するのでなく、子を信頼することが大事と。

 

 

ズラズラってまとまりのないブログを書きましたが、

ブログブランクを取り戻すので今後ともお付き合い下さい🤣

 

 

ってことで、

じゃまた✌️

 

 

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最近はサラダご飯!