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井手勇次 official blog

目的と目標

いつもありがとうございます。

 

どうも、井手です。

 

名前は濁りますが、心は濁りません。

(はい、どうでもいいです。)

 

 

さて、

 

この場では自分が感じたり、思うことを自由に書いていきたいと思います!

(うん、いつもあなたは自由に発言してるよ)

 

 

あなたの人生、なにを目的に生きてますか?

 

 

目標なんてどうでもいい。

(いや、どうでもよくはない)

 

ただ目的は把握しておいた方がいいかもしれません。

 

学校でも部活でも仕事でもなんでも、よく目標は何ですか?目標設定をしない。と言われますが、

 

 

井手はそんなのどうでもいい!と、思ってます🙂

 

 

もちろん人の考え方や自分のコントロールの仕方に寄るのだろうけど…

 

 

目標なんてものは目的達成のためのツールでしかなく、そのときの自分が作った(設定した)目標は、時として自分の可能性を縮めてしまっていることもある。

(うん、なにを言ってるの?)

 

 

まず、目的地があるとする。あくまで目的地に辿り着くことが重要であって、その行き方(ルート)や手段は何でもいいはずだ。

 

目標でいえば目的地に辿り着くための経由地になるだろう。

 

経由地を決めることである日それが必ずしないといけない義務に変わってしまうことがある。

 

要は、目標達成ばかりに執着してしまい、周りが見えなくなってしまう。

 

もっと具体的に例えてみる🤓

 

例えば学生の井手が目的地を島根県にして、石川県から出発しようと思う!

 

 

学生の井手は目的達成のために、よく言われる逆算して物事を考える。

 

 

すると、まず目標は大阪だとして目標を設定する。

 

大阪まで行かないと島根には到底行けない!と考えたからだ。

 

そうすることで、大阪にどうやったら行けるかを考えていく。

 

 

車?バス?電車?飛行機?いろいろ考えて一つに決めて動いていく。

 

もしかすると、学生だと費用の関係でそもそも飛行機の選択肢は消える。

もしくは出てくることさえないかもしれない。

 

ここでわかるが、知識や経験がなければ選択肢さえ浮かびもしない。

 

夜行バスだって知らなければ浮かばないし、

 

飛行機の乗り換えだって思いつくことはない。

 

ここで言いたいのは知識や経験不足もそうだが、大阪いくという目標を立てたことによって、大阪に行かないと達成できないという思い込みに繋がってしまいかねないということだ。

 

 

島根に辿り着くことがその人の目的達成だとするならば、行き方なんて無数にある!

 

 

当時の状況で決めた目標が、環境の変化で選択肢が増えているのにもかかわらず、そこ(大阪)を経由しないと行けないものだと思い込んでしまう。

 

本来なら、島根に辿り着くことが目的であるから、行き方の手段やルートは別に東京でも富山でも、バスでもジェットでもなんでもいい。その時その時の環境や時代によって変化させていくことが必要である。

 

そうやって目標としていたものがいつしか目的に変わってしまうことで、その人の可能性は狭まり、結果として目的の達成スピードも遅くなってしまう。もしかすると目標が目的に変わり、そもそもの目的を見失ってしまうこともあるだろう。

 

日本人によくありがちの言葉も状況判断を鈍らせる要因かもしれない。

とりあえず3年は働こう。

石の上にも三年。

転職しすぎるとよくない。

安定だから。

常識。

周りがそうだから。

等の教育的洗脳。固定観念

 

固定観念はよくない。

 

これがあるせいで人は可能性を閉ざす。

 

人は人、自分は自分。自分の感性や感覚を大事にして、時として貫いて生きていきたい!

 

だってそうでしょ?

 

固定観念に縛られていたらそもそも飛行機だって電車だってこの世にないよ。

 

思うが儘に、我が儘に。

 

✌️

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